GW弊社は有難く営業させて頂いており
明日は天気が下りの雨に変わりますので、夕方は棚卸を行いました。
本日もGWにかかわらず、塗り替えのお問い合わせや、現地調査も頂いたり
感謝申し上げます。
職方さんは、先日お世話になりました伊豆の国市奈古谷のM御夫妻様からお昼をご馳走と
頂きに伺い写真を忘れまして・・・M奥様のかなりのじっくり煮込んだbeefstewと豚カツ料理。
本当に感謝です。母を思い出します。
断熱セラミックGAINAの施工で大満足していただき、敷地内の仕事小屋の追加工事も頂きました。
母家の建物も足場が外れ、見た目も御城みたいなイメージに見えます。
M御夫妻様、有難う御座います。
仕事とは別なことに変わりますが
皆さん今から90年くらい前の日本と中國との関係の時代を知っていますか?
知らない方はたくさんいるはずです。
1932年~1945年ほど
日本は貧しい国であり、大金持ちになれると植民地とし中國東北地方(満州)へ開拓団として故郷を捨て行きました。
日本の開拓団は一番多く満州へ行った県は長野県阿智村の方々様が多く行きました。
もちろん中國の領土を奪いに行ったと言われればそうと等しいですが、
日本は戦争に負け、関東軍も開拓団を見捨てて、
条例和解を無視しましたロシア軍からの残虐な攻撃や中國人からの残虐や攻撃。
「ギャーという悲鳴、ブスブスッと銃弾が体に食い込む音が…」日本人1000人をソ連戦車部隊が殺害“葛根廟事件”に巻き込まれた少年の証言(文春オンライン) – Yahoo!ニュース
集団自決も多くの犠牲者もでました日本の開拓団です。
そのなかでも、開拓団の赤ちゃんや子供さんは中國人に預け、
お母さんは栄養出張や集団チフスなどでも亡くなられました。
その中國人に預けた子供達が中國残留孤児と言われます。日中交条約や日本の政府の認めなど
日本帰国も認められ永住権取得します。
現在、
中國は尖閣諸島やフィリピン沖南シナ海の出来事、問題もニュースで。
でも中國人は悪いイメージに思わないでください。全員が全員ではありません。
残留孤児になった子供たちを大学まで育ててくれました中國の養父母。
ものすごく暖かい心の人間です。
Yahoonewsでも取り上げていましたね。涙もでます。
私は人間をだましません。だから私は人間にだまされません。
皆さんこちらのDVD販売もしていますが、
日本満蒙開拓団の事を一度見てください。私は非販売の資料やDVDもたくさんありますが
戦争と平和をわかります。
日本で
中國残留孤児の2世3世の方々様はたくさん移住しています。
日本の首都東京が一番多く在住していますし、悪いイメージや怖いimage、日本人のimageとして
さまざまだと思います。でもみんな純粋な心、日本人にもってない心あります。
私は
ただのペンキ屋です。でもペンキ屋を馬鹿にしてはいけません。
日々私は一生懸命。明日も一生懸命。
それでは